小学2年生 家族で交換日記???

正確には春休み頃かな?もっと早かったかな。。。

 

『Haha家 交換日記』を始めました。3年生頃までだったかな??

息子の感想文・作文・創作文の買取りを始める時期位まで行っていました。

 

初めは…日記を書くことを勧めようと思いましたが、リアクションがあった方が楽しいかな?とHahaの主観が入って、Haha夫も巻き込んで、交換日記を書くことにしました。

 

ノートは自由帳を使って、1日1名、1ページ?(気分による)で行っていました。

これがおのおのの性格も垣間見れて、意外と面白い!

 

Haha→自分が面白かった出来事をひたすら書く!(≒普通の日記)

Haha夫→息子向けになぞなぞや絵、迷路をかいてました。。

(≒文章は読むのも書くのも好きじゃない。。)

息子→HahaとHaha夫の添削+担当日は簡素な3行日記

 

えぇっ!?初めイメージしていたものじゃない!?・・・と思いましたが、

息子が誤字脱字を見つけたり、難しいと思った文章は自分なりに砕いて書き直していました。「ここはわかりにくいので、〇〇〇の方がいい」など。。先生気分で書いていました。簡素な日記へのコメントに悪戦苦闘しました。。情報が少なすぎ。。

 

本来は自分の気持ちを文章で表せるようにと思って提案したことでしたが、

結果的には別の能力向上に一役買ったような気がします。。たぶん。。

 

子ども接する中で、年々思い通りに進まないなぁ~と思うことがあったように思いますが、大人もすべてが正しいわけではない!

大人の意図から外れようと、どんな形であれ学んでいたように思います。。

(≒学んでいたと思いたいです。。)

小学3年生 小学生新聞の定期購読開始

このころ?・・・だったと思います。。。たぶん・・

そろそろ記憶が合間になってきました…

 

読書に前向きの息子に、身になる読むものを与えたくて定期購読を始めました。

「週刊子どもニュース」だったかな?ママ友の中でも人気の高いテレビ番組がありましたが、テレビをあまり見せない方針の我が家には不向きに思い、定期購読を始めた記憶があります。

 

隅から隅まで読むことはないからと、毎回届いた渡していた記憶があります。

 

時々用語や国の関係などを質問してきていましたが、Hahaは知識が乏しいので、

「わぁ。。難しいこと読んでいるのね、、調べて、Hahaに教えて~」と言って逃げたり、一緒に調べたりしていました。

口では調べる方向で進めるものの、実際高学年になっても一緒に調べることの方が多かったと思います。

 

小学生を卒業後、中学に上がるタイミングで一度普通の新聞を購読始めましたが、、結果戻って、高校1~2年くらいまで取っていたように思います。

※中学~高校の頃は2誌購読して、本人が比較しながら読んでいたと記憶しています。

 

小学生新聞は、初めは読んでついていくのがやっとだった息子が、成長と共に気分転換の素材としていた、我が家の思い出深いの読み物です。

小学4年生 素直だけど、、、素直に聞かない。。

ある日突然ーではありませんが、、、

息子がHahaの学習プランに物申すようになりました。。要は一人で学習したい様子。。

 

小学校時期の息子の自宅学習

Hahaと一緒にリビングの机で行っていました。

・小学校登校前に通信教育を1ページ

・帰宅後、英語の絵本+自主学習ノート※詳細はまた別の機会に・・・

 

これにプラス 学校の宿題

宿題はHahaは必要に応じてのみ参加・自分のやりたいタイミングで行っていました。

 

一緒に学習することを、小言を言いながらも楽しんでいたHahaは

寂しくも感じた時期でした・・

この二人の学習時間も終焉を迎えるのかなぁ~なんて思ったり。。

「一人で寝れる‼」と添い寝を拒否された時の感覚に似ていたなぁ~

 

結果的には、小学校6年生までは、一緒に座らずとも内容の確認を行ったり、自宅学習にHahaも参加していました。

 

おまけですがー

幼い頃からリビングの定位置でブロックや折り紙、絵本を読んでいた息子ー

その名残からか、同じ場所でリビング学習を行っていた息子にとって、一番集中できる場所だったようで、結構な頻度で居たように思います。

小学5年生 お金を使った大冒険

小学校5年生の夏休み前日

息子に私名義の1通の通帳を渡しました。

 

この通帳は、息子が生まれてから小学校5年生までの10年間、内職の給与やカードポイント、息子の頑張った貯金額(※)などで貯めたお金が貯金されており、約30万円あったかと思います。

※頑張った貯金は、幼稚園年中からの100円貯金です。

 

・息子が生まれてからの貯金である事

・1回の入金が2~3,000円/月と少ないこと

・一度も出金がないこと 

・額が今まで息子が自由にできる額の中で最大である事

 

4点確認して、息子に「5年生だからできる使い方をして」と言って渡しました。

 

貯金を続けてもよし

旅行計画を立ててもよし

投資(限度額・内容は要相談)に使ってもよし

 

条件を付けたのは「計画書を書いて、稟議を通すこと」

加えて、「今だけを楽しむものには使わない(玩具・ゲーム等の娯楽)」「友達を巻き込んだり自慢(話し)したりしない」と話しました。

つまり、これは学びの一環である事を理解してほしかったからです。

 

当時、お小遣いを上手く貯められない息子に、「コツコツする事の大切さ」「計画性」「交渉力」などを学んでほしかったのですが、どうでしょうか、、結果的に身についたと願いたいです。身についていなくても、考えるきっかけになったと信じたいです、、。

 

因みにこのお金、どうなったかと言いますと

家族のプチ旅行(息子自作のプラン)と息子専用(サイトの制限設定済)のPC代になりました。

小学6年生 通過点だけど大切な節目

小学校6年生の頃を思い出そうにも、、

特別なことを始めた記憶もなく、、

強いて言えば「小学校最後の年」を意識した言葉を選んでいたと思います。

 

班長になったんだね!」

※6年生が地域に息子だけだったので、一斉登下校のリーダーでした。

「ランドセル姿ももうすこしかぁ~」

「運動会の場所取り合戦も今年までなのね~」

 

小学校生活を大切な思い出にーとの願いからの言葉だったが・・・

これが良かったのか?

プレッシャーになったのか?

それは息子のみぞ知るー

 

小学校から中学に上がる春休みは、大切に使うように話してー

本人に任せた記憶があります。

「中学生になったら、今みたいに友達と遊べなくなるから」と思って、友達と遊ぶように促していましたが・・・

 

結局誘われないと行かない息子は、、、

春休みをほとんど、本屋と図書館通いに使っていたように思います。

 

本人の中では何か分岐点になった出来事があったかもしれませんが、

6年生では、私からは大きなことを勧めなかったように思います。

 

今思えばー何か一つ本人の記憶に残るエピソードになるような事を勧めればよかったかな?

もしくは、、小学校5年生までに勧めた中で一番好きだった事柄を自分の力で行うとか??

勧めてみるのもよかったかなぁって思います。

勝手に余談 「息子の性格分析」

一言でいえば、マイペース

 

友達と遊ぶのも好きだが、積極的に誘ったり外に出る方ではなく、休みの日は家で本を読んでいることが多かったように思います。

また、中学時代は学校の方針で半ば強制的に入ることになった部活動も、休まず黙々とこなしている印象がありつつ、会話にもチラホラ出てきていたので、それなりに楽しかったと思いますが、、、なにせめんどくさがり屋な面があり。。行くまでが億劫だったようです。

 

本来息子の性格は。。。

ガサツ・面倒くさいことは嫌い・マイペース・協調性に欠ける等々・・

 

矯正された息子の性格ー

すぐに諦めない・同調できる

 

『すぐに諦めない(≒辞めさせてもらえないので続けるしかない)』

息子の場合は、チャンスあれば辞めたい雰囲気があったので、一概に言えないところもありつつですが。。。今振り返れば、様々な経験と捉え、習い事のハードル※を下げて、本人が好きなものを見つけてあげるのも一つだったと思います。

※習い事のハードル:親が決めた習い事には「〇〇できるようになったら辞めていい」と目標を提示していました。本人が言うがままに辞めさせる事には今も否定的ですが、目標を下げて、色々チャレンジできるようにすれば、もっとよかったかと思います。

 

Hahaの一押し??→

そういえば、幼い頃に、「頑張った貯金」していたなぁ~。これも後々書いてみます!

 

『それなりに同調できる』

幼い頃は、友達と遊んでいても、自分が興味をなくすとふら~と姿を消す面があり、協調性のなさをHahaは心配しておりましたがー小中学校で学んできたのか、それなりにできるようになりました。

根底では、まだ根強く残っているところもあるようで、当時も集団生活に溶け込める方ではなかったように思います。

 

Hahaの一押し??→

この性格、実はHahaと真逆なんです!

本当の意味で理解してあげられないことが分かっていたので、馴染めず、暗い雰囲気で帰ってきたときは、無理して馴染むことを勧めず、「いろいろな人がいるからね~」と否定も肯定もしないように気を付けていました。。

 

言い訳はするが、結果的には物事を投げ出さず、文句を言いながらもやり遂げていました。

努力は今でも嫌いだと思います。ただ、すました顔でデキル男と思われたい気持ちが強いので、今でも努力を惜しまずやっているようです。

 

Hahaのボヤキ→

格好つけたってねぇ~とHahaは思いますが、格好良い自分が目標になって努力していくと、それが自然と中身が伴ってくるように思います。

そんな成長の方法もあるんだと息子を見てて思いました。人それぞれですね~

中学1年生 息子との距離の保ち方

中学に入ったからと言って、大きく変化した印象はありませんでしたが、、

気を付けていたのは・・・

『干渉しないこと!』

『「辞めたい(行きたくない)」を頭ごなしに否定しないこと』

 

『干渉しないこと!』=子離れの第一歩!・・だけど難しい。。。

一人っ子ってー

子どもってー

いくつになっても、何もできないと思ってしまうんですよね。。

干渉しないことは、子離れの第一歩と常々思いながら一歩引いたつもりで接していましたがーついやっちゃうのが母なんですよね~。

息子の生活習慣・進路(勉強方法)など、決定権は息子にあると頭ではわかっていても、色々調べて口を出していたように思います。。

 

『辞めたい(行きたくない)』のサインには敏感に反応していたように思います。

イジメの問題は本当にデリケートなので、息子が行きたくない理由を、時間かけて粘って聞いていました。

例えHahaとの会話を嫌がっても、理由はしっかり聞いて、その上で休ませたこともあります。

 

有難いことに不登校まではいきませんでしたが、個人的には中学1~2年の時期は「コミュニケーションを学びに学校(習い事)へ行っている」と思って、学校・習い事など、交流の場になるような場所への無理強いしませんでした。

※後に書きますが、幼い頃は押さえつけてでも行かせたことがあります、、

※勉強面は自宅学習が一番効果的だと思っていました。学校や塾の先生、、すみません。。

 

息子が嫌がりながらも、ポツリポツリ自分の気持ちを話してくれていたのは、親子の信頼関係が出来上がっていたからかな?

ーなんて偉そうですが、今振り返ればそう思います。